新型コロナウイルスの感染拡大は、大量のパーテションやソーシャルディスタンス、入国制限などのさまざまな対策、そして身近な人の隔離や、死を通じて、国境や、自分と他者との境界線をより意識するように促しました。それは、誰かと離れることであると同時に、親密になることでもあったと思います。
こうした時間は、私たちにそれらの境界を守ることで自身を守るということと、どのようにそれを越えてつながっていくのかを考えさせました。それは断絶のための高壁を周りに築くことではなく、「越境しうる境界」を想定することであると言えるでしょう。
本展では、伊東宣明、岩﨑広大、早川翔人、スクリプカリウ落合安奈、津田みなみの5名の作家を紹介します。彼らはそれぞれの体験の中でそれぞれの「境界」を認識し、なんのために引かれた境界で、自身はなぜ今こちら側にいるのかを作品を通して探ります。そして、その向こう側には何があるのかを静かに眺めています。
本展が、彼らの作品や姿勢を通して、物事の見落としていた側面や、盲目的になっていた部分、忘れていた出来事などについて、思いを馳せるきっかけになれば幸いです。

The pandemic of the Covid-19 prompted more awareness of national borders and the boundaries between ourselves and others through various measures such as partitions, keeping social distance, and immigration restrictions. These shifts make an opportunity to think about how to protect ourselves by these borders between us and how we connect beyond them.
It seems to be possible not by building a wall around us for severance, but by assuming a "border that can be crossed," like a fence on the border of an adjacent house.
In this exhibition, we introduce five artists: Nobuaki Itoh, Hiromasai Iwasaki, Shoto Hayakawa, Ana Scripcariu-Ochiai and Minami Tsuda.
They recognize their own "boundaries" in their own experiences and explore through their works why the boundaries were set and why they are on the side they are on now, ​​and they research and imagine what is on the other side.
We hope that this exhibition will provide an opportunity to consider the missed sides of things, the blind spots, and the forgotten things through their works and attitudes.


[展示概要]
Over the fence

会期|12月3日(金) − 12月26日(日)
会場|コートヤードHIROO
入場|無料
開場時間|12:00-19:00
月曜休場

※初日のみ17:00オープン
出展作家|伊東宣明/岩﨑広大/早川翔人/スクリプカリウ落合安奈/津田みなみ
キュレーター|三宅敦大
主催|コートヤードHIROO
協力|WAITINGROOM、 AKIO NAGASAWA Gallery


Contact us: garou@cy-hiroo.jp


[アーティスト]


伊東宣明 Nobuaki Itoh [死者/生者](インスタレーション) 
http://nobuakiitoh.com/

伊東宣明は、これまで「身体」「精神」「生/ 死」をテーマに作品を制作してきました。今回は、作家の大学院修了制作である《死者/生者》(2009)を展示します。祖母へのインタビューや、その数年後の祖母の入院中の風景と、その中で彼女の話すことを寝言のように同調し語る作家の映像が併置されます。祖母と作家とでは年齢的な側面からも、映像の様子からも祖母の方がより死に近いように見えますが、この作品の発表当時、祖母はまだ存命でした。映像の最後で呼吸をしていないように見える=死に至るのは作家の方なのです。それは、死が誰にとっても身近なものであり、常に隣り合わせであることを思い出させます。
また、発表から数年が経ち、制作当時は存命だった祖母は今は亡くなっており、作家は存命です。作品の中で反転を試みた生者、死者の関係は、現在再び反転することになりました。この作品には、現在の状況下において、今を生きる人々から、亡き人々への想いや祈りを感じ取ることもできるかもしれません。




岩﨑広大 Hiromasa Iwasaki
https://iwasakihiromasa.myportfolio.com/

岩﨑広大は、昆虫の標本にその昆虫や植物の葉にそれらが生息、原生していた場所の風景をプリントするという作品など、物の現在とルーツを重ね合わせるような発表してきました。彼の作品は、こうした回帰的な側面によって、グローバル化をへて、世界中にさまざまな種が自由に行き交う現代において、昆虫だけでなく、植物や、人間などが「あるべき場所」とは何処かあるいは何かついて考えることを促します。それは、自由な移動の中で忘れ去られた原点への探求であるとともに、移動を余儀なくされるようなある種の淘汰されたものたちの存在を浮き彫りにもしています。今回展示では、標本の作品だけではなく、修了制作で発表した標本箱と風景とを扱った写真作品も展示します。彼は、これらの箱が制度変更により管理が行き届かなくなった博物館に打ち捨てられているのを発見しました。かつて人間のエゴによって捉えられた昆虫たちを閉じ込めていた箱は、再び別の人のエゴによって廃棄物へと変化しています。岩﨑は、そこに昆虫、コレクター、廃棄者という三者の見つめる風景を重ねます。また、写真のフレームと、標本箱は2重境界線となり、世界の輪郭を捉えていきます。





早川翔人 Shoto Hayakawa  
https://shotohayakawa.org/

早川翔人は、リアルタイムの映像合成で、鑑賞者が自分のみている映像内に登場するというシリーズの作品をいくつか発表してきた。今回展示する《Meet up around 8 p.m.》は、同シリーズの「8時集合で」を海外で再制作したバージョンである。早川は、作品を通して、存在しない登場人物としてのxに、鑑賞者を代入していく。映像のプロットは、挙手をするシーンや、声をかけられるシーンなど鑑賞者が登場人物として物語に介入してくることを想定している。介入に対する明確なレスポンスがあるわけではないが、映像それ自体に参加していくこともできるし、それらを無視、奔放に振る舞うこともできる。また、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、リモートワークなど画面を介した他者との交流が促進された現代において、この映像への参加体験は、普段関わることのない人々との擬似的な交流の可能/不可能性を提示する。また、この1年、日本では飲食店などが8時までしか営業ができない状況が続いた中で、この作品の「8時に集合する」という言葉は、この交流の可能/不可能性や、他者との境界という点において、新しい意味を内包するようになっただろう。




スクリプカリウ落合安奈 Ana Scripucariu-Ochiai
https://ochiaiana.wixsite.com/anaso

スクリプカリウ落合安奈は、ルーマニアと日本にルーツを持っています。作家は、こうした自身のバックグラウンドから、2つの国の文化の差異や共通項を制作の起点として、民族、国家など、人間の帰属意識について問い直してきました。本展では、2015年から制作している《明滅する輪郭》シリーズより、2021年に制作された一組を展示します。本シリーズは、写真に写る人物の顔にビニールを縫い付けることで、ここにはいない彼らの呼吸を可視化しようとする作品です。
コロナ禍を経て私たちは、空気というメディウムを共有していることを事実として認識しました。それは、ウイルスや菌などを共有してしまうという危険を内包する一方で、私たちがどんな時でも、誰かと繋がっているということでもあります。
かつて彼らのした呼吸は、その後さまざまな人の呼吸となり、今もこの世界を漂っています。本シリーズは、私たちが空気を介して、時空を越え彼らと、あるいは全ての人々と繋がっていることを教えてくれます。まだ会った事のない誰か、隣にいる話した事のない誰かも、自分と無関係ではないのかもしれません。




津田みなみ Minami Tsuda

1996年岐阜生まれ。2021年多摩美術大学油画専攻を卒業。現在同学大学院美術研究科修士課程絵画専攻在籍。津田は、「私は自分の居場所を探している。ふとした時、私は今、自分のいる場所(空間)に違和感があるように感じることがある」と述べます。本作において津田は、自身の部屋という無機的な建築空間と、そこに在る有機的な身体の関係を描きます。コロナ禍で外出を制限された昨今、私たちの多くは家というものに良くも悪くも縛られています。こうした家とのより親密な関係(衝突と言ってもいいかもしれません)は、空間のもつ人間性やその内面性をより明確なものとしました。津田の作品には、自身の身体と空間の争い難い対話と拡張、そうした肥大した自己をどのように解放、防衛するのかという問いがあります。それは、他者による自己への介入のプロセスであるとともに、自己による自己の越境のプロセスでもあるでしょう。