青井 茂 株式会社アトム 代表取締役
僕は、旅が好きだ。1年間のうち、4カ月は旅に出ている。正確に言えばそのほとんどは出張だが、仕事の合間でも時間があれば街を歩く。この10年で最も印象的だったのは、キューバの旅だ。ご存知の通りキューバは社会主義の国であり、どれだけ働いても給料は一定、良くも悪くも競争はなく、食べものは配給制。ある日、ハバナの街を歩いていると、キューバ人と親しくなった。彼は僕を家に招き入れ、冷蔵庫を見せてくれたが、その時は本当に驚いた。配給前とはいえ、なかにあったのは卵がひとつだけだったのだ。「もし今日、配給がなかったらどうするんだ」と聞いたら、「大丈夫だ」と彼は笑った。「きっと誰かが助けてくれる」。そう言ったあとで、「一緒に昼飯を食わないか」と僕に声をかけてきたのはもちろん「奢ってくれ」ということだが、この国ではそれが当たり前なのだ。
人によってはタバコとか酒とか、「これが無くちゃ生きていけない」という中毒があるだろう。ギャンブルとか恋愛とか、何かに夢中になることは自分の魂をそれに明け渡すことでもある。僕の場合、そういう中毒はないのだけど、強いて挙げれば旅だと思う。思いつくまま出かける自由な旅。なぜそんなに旅が好きなのかといえば、そこでは僕の想像をはるかに超える、突拍子もない体験が待っているからだ。インドではインド人と喧嘩ばかりして、滅多に怒らないこの僕が何度も声を荒げた。エストニアではバスに乗ろうとしても行き先の文字すら読めず、子どもみたいに右往左往した。ベナンでは街から数時間も行った場所で乗っていた車が止まり、途方に暮れた。とにかく、旅先での僕はいつも必死だ。本能を全開にして、ぶっ飛んだシーンに体当たりする。そんな瞬間が大好きだ。
以前、ある評論家は日本の若者について「欲なし、夢なし、やる気なし」と言った。そして、「日本社会最大の危機は、若者たちが人生に対する決断力と想像力を失ったことだ」と述べた。確かに、旅先で日本人の若者に出会うことは珍しくなり、飛躍を夢見て海外に留学する青少年に日本勢は少ない。だが、日本の若者が本当に欲も夢もやる気も持っていないのかと言えば、僕は本当にそうだろうかと思う。望めばなんでも手に入るこの世の中で、心に火をつけるための導火線が長くなり、なかなか燃え上がらないだけじゃないか。
思い返せば、僕だって若い頃は欲がなかった。幼い時にはプロ野球選手に憧れ、学生時代は野球の練習に打ち込んでいたが、一方で、僕はいい子ちゃんでいることをやめられなかった。カメレオンのように状況を察知し、ぬかりなく周囲の期待に応える優等生を演じるには、個人の夢や欲は邪魔なのだ。いい子ちゃんでいることをやめ、自分の意志と共に生きようと決めたのは、趣味で続けていた野球で怪我をした時だ。立つことも歩くこともままならず、僕は1年以上自宅で過ごした。初めて死を意識したのもこの時だ。幸い命に関わる怪我ではなかったが、「人間って意外と簡単に死ぬんだな」と実感した。
そこから僕は自分の“宿題”を考えるようになった。人には何か、持って生まれた使命があるのではないか。それを果たすために人は輪廻転生を繰り返すのではないか。僕は自分の宿題を考えた。そしてそれは、祖父の遺したDNAを次の世代へ手渡すことだと自覚した。
これまで僕は偉大な祖父や父を持ち、経済的に恵まれ、何一つ不自由なく育った。そんな環境を人に羨ましがられることも多かった。もちろんそれは否定しない。確かに僕は必要以上に与えられ、守られ続けてきたのだから。だが正直言うと、僕には人生の選択肢はあっても、選択権はなかったのだと思っている。いや、両親からあとを継ぐように指示されたことはない。だが僕は、物心ついた時から祖父の業績を背負い、言葉にならないプレッシャーを感じていた。そこから逃れるために、学生時代は野球に打ち込み、誰よりも強くありたいと必死に練習したのかもしれない。
しかし怪我をして、「人間はあっけなく死ぬ」という現実を知った時、僕はこのままでいいのかと思った。何気なく、祖父の人生をまとめた書籍を本棚からとり、改めて読み直したこともきっかけとなり、僕は、祖父がこの世に遺したものを後世へ継ぎ、発展させていくことに本気で挑戦しようと思った。これが僕の宿題なら、そこから逃げることは人生そのものを捨てることになる。たったひとつの宿題くらいろくにできず、一体なんのための人生だ。僕自身には、ゼロから事業を起こす力はないかもしれない。だけど、僕なりのやり方でこの事業を成長させ、次の世代へ手渡すことはできる。
振り返れば、僕が旅をやめられないのは、旅では僕が背負っているたくさんのもの、つまり、祖父の業績とか、名声とか、三代目としての立場とか、そういうものから自由になれるからだと思う。僕は普段いくつもの鎧を身につけて刀をさげ、無意識のうちに完全武装しているのかもしれないが、旅ではそれらを脱ぎ捨て、素っ裸の自分になれる。僕が相手を知らないように、僕が誰か、誰も知らない。ひとりの名もない人間として、何にでも全力でぶつかっていける無重力感にワクワクするのだ。
旅を終え、飛行機が東京へ近づくと、僕はいつもの顔になる。素っ裸で未知の大地を走り回っていた残像が少しずつ遠ざかり、僕は、「A-TOM代表取締役」という戦闘服を身につける。そして、見慣れた戦場へ向かっていく。怪我をして、死を思ったあの時から始まった僕の戦いは、一体誰と、何のためのものなのか正直まだわからない。だが、あの時から僕の中で旅に対する欲望がますます強く燃え上がったのは、確かだ。
Top Athlete + Recovery
吉田麻也
リカバリーとは体の状態が落ちてするものではなく、いい状態を保つために同じことを淡々と続けること。
2018年7月2日、ロシアW杯決勝トーナメント1回戦「日本vsベルギー」は、世界中の人に強い印象を残した。後半終了間際の逆転ゴール。その瞬間、芝生を叩きながら泣き崩れた選手もいた。
「悔しいですよ、今でも。でも悔しさは、絶対に忘れない。この気持ちをバネにこれからの4年間、自分を突き動かしていかなくちゃいけないから」
つい昨日、ロシアから帰国したばかりの吉田は言う。
前回のブラジル大会では、「しばらくの間、気持ちが燃え尽きて再スタートが難しかった」と語っていたが、「今回は」と聞くと、「いや、燃え尽きています。もうサッカーはしばらく見たくないですね」と笑った。
「でも、心身共に過度のストレスがかかっているというのは理解しているんで。ここでちゃんと充電しないと今シーズンに影響が出てくるから、一度、頭をリセットするのが大事だと思っています」
試合が続く過酷な毎日では、日々のリカバリーがとても重要な役目を負う。交代浴をして疲れをとったり、映画を観てリラックスしたり、普段の日課である就寝前のストレッチは、W杯期間中も欠かさなかった。
「リカバリーって、体の状態が落ちたからするのではなくて、日頃から体や心をニュートラルに整えて、いい状態をキープするために行うもの。だからこそ、同じことを淡々と続けるのに意義がある。車もそうじゃないですか。壊れてからガレージへ行くんじゃなくて、普段から定期点検をちゃんと受ける。僕らでいうと、その定期点検が毎日のリカバリーなんですね」
4年後、吉田は再びカタールでのW杯に挑む。それまで、どうやって今大会を自分なりに消化して、新たな境地へ飛躍するか。戦いはいま、始まったばかりだ。
石川歩
週に一度の登板日以外、6日はリカバリー日。毎日15分間の瞑想で、自分と向き合う。
侍のような風貌から、一匹狼とメディアで評されることも多い。2017年にはWBC開幕戦先発の大役を任され、「常に飄々としている」と権藤投手コーチからも高く評価された。その「飄々とした感じ」は、一体どうやって培われるのか。
「意識していることはないんですが、3年前から続けている瞑想が役立っているのかもしれません」
毎日、就寝前や起床時に約15分間黙って座る。敗戦日には当然心がざわつき、試合のことが頭を駆け巡る。そういう時は「無理してやらない」と言うが、そんな日でもあえて自分と向き合う時間を作ることで、心の中で片がつく。
石川には、勝つための流儀がある。たとえば、登板の翌々日は完全オフだが、派手に呑むなど決して羽目を外さない。遠征には質の良い睡眠を確保するため、枕や寝間着を持参する。面白いのは、そうやって自分なりのルールを守り環境を崩さない一方で、たとえシーズン途中とはいえ、興味を引かれたものは積極的にやってみることだ。つい3週間くらい前から、登板の前日や当日にグルテンを取るのをやめたところ、「体調がよくなった」ので今も継続中だという。リズムは守るが新しいものも取り入れる、その柔軟さが「飄々とした感じ」の所以かもしれない。本人は「ストイックな人に憧れる」と言うが、石川自身、「剛と柔を併せ持つハイブリッドなストイック」だ。
1年間143試合。「1週間に一度の登板日以外、6日はリカバリー日です」と石川が語る通り、ベストなコンディションを保つのは想像以上に過酷だ。
「移動中にはハートウォーミングな映画を観ます。その時くらいですね、野球を忘れられるのは」
石川は最後にそう言った。強面の顔がほころんだ瞬間だった。
Greatest of All Time
世界四大スピリッツといえばジン、ウォッカ、テキーラ、ラム。そのうち、世界のナイトシーンで最もよく飲まれているのがウォッカだ。「でも、日本酒や日本産ウイスキーは外国でも人気なのに、そういえば日本生まれのウォッカってないよね」と気づいた、エジプト人と日本人のハーフ、エルサムニー・アリーさん。日本を愛する想いから、「ワールドワイドに活躍する、日本製ウォッカを作ろう!」と、福井県内にある老舗酒造の協力を得て開発したのが「KEYS & BRICKS」だ。雪解け水を仕込み水に、蔵人達の卓越した技が生み出す純国産ウォッカは、アルコール度数35%ながらすっきりした口当たり。あえてプレーンの味を作らず、「カクテルだけでなくストレートでも楽しんでもらいたい」と、マンゴーやレモンなどのフレーバーウォッカだけ製造するのが特徴だ。甘すぎず風味豊かなマンゴー味と、無農薬の瀬戸内レモンをぎゅっと加えたレモン味、ソーダ割りなどもいいけれど、ウォッカ本来の持ち味を楽しむために、まずはショットで試して欲しい。「ショットって罰ゲームで一気飲みするもんじゃないの?」というイメージを持っているなら、それはたちまち覆されるはずだ。
本来、スピリッツのショットはお祝いの席や「今日は仲間とがっつり飲むぞ」というときに登場する、最高の盛り上げ役。広尾のどまんなかにあるコートヤードで、夜空を仰ぎ見ながら気のおけない仲間たちとショットを2杯飲み干せば、「コートヤード」転じて「ゴートヤード」。それはまさしくGreatest Of All Timeなひとときとなるに違いない。
Hiroko Otake Exhibition
儚さの中にある力強さに魅せられ、自由と変化を蝶に託す。
幼虫からさなぎを経て、蝶はこの世に再度、生まれる。さなぎの中にあるものは、ほぼ完全な液体であり、そこから蝶として自らを再構築し、美しい成虫に変化するのだ。その完全変態の過程は、生物界の中でもっとも神秘的で、不思議な現象のひとつとされている。
そして、それ以上に不思議なのは、さなぎから再び誕生した蝶には、幼虫時代の記憶が残っているということだ。変わるものの中にある、変わらないもの。「そんなところに魅力を感じる」と、蝶をモチーフに多くの作品を制作する日本画家、大竹寛子さんはいう。
大竹さんが題材として蝶に注目し始めたのは、大学院生だったとき。これからアーティストとしてどんな方向へ進むか考えていたとき、ある日突然、目の前に蝶の大群が美しく舞うビジュアルが浮かんだ。儚さの中にある、力強さ。目の前にある命と、短い一生。個体としての姿は変わり、常に流動的で変化していきながらも、その中心には変わらない命がある。それ以来、相反するものがひとつの中に存在する「蝶」というモチーフに夢中になった。繰り返し、蝶の作品を描き続けた。
「キャンバスに銀箔を貼り、硫黄で焼きつけることで、繊細な濃淡や色合いを表現することもあります。焼き加減により、色も形も変わっていく。思った通りの仕上がりにならないこともあるけれど、作品に全てを委ね、コントロールしようという気持ちを手放すとき、真実の世界が生まれるのだと思っています」
大竹さんの作品は、「日本画」という言葉から連想する堅苦しさを感じさせない。よくいえば伝統的、悪くいえば閉鎖的、そんな日本画の世界を超越し、大竹さんは独自の世界観を築いている。しかし、その壁を乗り越えるのに、楽々と羽をはばたかせたわけではない。「既存のものは信じないタイプ」と自分でも語る通り、大学時代から日本画界独自の権威主義に疑問を投げかけてきた。そのせいで、いま振り返ればアーティストとして遠回りすることもあったかもしれない。だが、悩み、迷い、試行錯誤を繰り返し、ときにはニューヨークやヨーロッパなどを訪れ、ジャンルを超えてアートの最前線を体感しながら、「技法は表現のツールに過ぎない」という考えに到ったのだ。
「人間は、あらゆる意味で完全に自由になることはできません。でも、窮屈さの中にいるからこそ、精神的な自由を追い求め、変化や成長を目指していく。そんな姿を蝶になぞらえ、作品を創りたいと思うんです」。そう語る大竹さん自身、まるで、閉鎖的な伝統社会から解き放たれた、一匹の蝶のようだ。
アパレルやホテルなどとコラボレーションして、アートとしての新しい分野を確立するなど、常に変化の過程にいる大竹さん。2018年11月から2カ月間、コートヤードHIROOのギャラリーで“Metamorphosis”をテーマに個展を開催する。Metamorphosis、すなわち、変容。
「美しく、揺らぎのある世界で、変わらないものがあるとしたら、それは何か。儚さの中にある無限性を表現できたらと思います」