コートヤードHIROOでは菅原万有の個展「漏れだす経済、再演のたましい」を開催いたします。香港を拠点とする菅原は、〈自己拷問〉を歴史的な支配構造と向き合う身体的・美学的戦略としてとらえ、社会のルールや価値観に問いを投げかけます。インスタレーションや演技、写真、映像を通じて、生きづらさの中にある抵抗や希望の形を探ります。日本初個展となる展示を是非ご高覧くださいませ。

菅原万有個展「漏れだす経済、再演のたましい」
2025年5月10日(土)〜5月31日(土)
❚ ​時間:12:00〜19:00
❚ ​休館日:月曜
❚ ​会場:コートヤードHIROO ガロウ(〒106-0031 東京都港区西麻布4-21-2)
❚ オープニングイベント:5月10日(土)16:00~19:00


5/24(土)には展覧会に併せて、作家自身がファシリテーターを務める体験型ワークショップを実施いたします。本展で取り上げられている「ケア」「同意」「支配」といった社会的テーマに、参加者自身の身体を通じて向き合うことを目的とした実践型のプログラムは、出展映像作品《Muster Point》(2025)とも連動しながら、演じることを通じて関係性の構造を捉え直します。本ワークショップは展覧会をより深く体験するためのもうひとつの入口となるでしょう。ぜひ、この機会にご参加ください。
詳細・お申込み
https://cy-hiroo.jp/topics/gallery/archives/8141



アーティストステートメント
パドルが私の背中に落ちた瞬間、「私の前に道はない、私の後ろに道ができる」という言葉が、頭の中で響いた。それは私の皮膚から生まれた確信だった。湿った音、圧倒される痛み、肉が押し戻される感覚、皮膚の下で記憶が立ち上がる。 刻まれていく赤い線は、単なる痕跡ではなく、時間を横断する断層――過去の私と今の私を接続する裂け目として存在していた。

幼少期、ある時から人前で泣くことができなくなった。かわりに、私は呼吸を止めた。空気とともに感情を遮断する。そうやって心臓の鼓動さえ鈍らせることで、痛みの震源地を無効化し、時間の流れを一時的に無化できた。でもあの抑制は、自己保存の技術ではなかった。むしろ、私に沈黙を強いてきた構造――国家、男性優位、資本主義、異性愛規範、家族――といった制度的権力のリズムに身体を同期させることでもあった。言葉以前の様々な権力の気配の再演だった。

数年前、私は「選び取った拘束によって、身体にユートピアを走らせたい」と書いた。それは隷属の肯定ではない。むしろ、自己決定された痛みによって、肉体と魂がようやく接合するという仮設だった。ローレン・バーラントのいう「Cruel Optimism(過酷な希望)」のように、幻想と知りながら、私はその幻影に賭けてきた。突き刺せ、もっと深く。バラバラになった私の身体と心が、魂が、痛みの軸を中心に、再びひとつにまとまると信じて。

パドルの音が繰り返されるたび、皮膚の下層で沈んでいた記憶が逆流する。否定されたまま、言語化されなかった情動たちが、細胞の隙間からざわりと浮かび上がる。痛みは、アーカイブなのだ。身体という記録装置が、あらゆる抑圧の痕跡を無言で保持し続けていたことに、私はようやく気づく。あの時吐くほど泣けばよかった。一度壊れることこそが必要だったのだ。

全てから赦された気がした。でも、本当はずっと、私が私を赦すのを、私自身が待っていただけだった。私の歴史を塗り替えるのは、他の誰でもない。

そう気づいた瞬間、世界がゆっくりと軸をずらし、ぐりんと、回転する。
重力がずれ、再接続される音が聴こえる。身体、心、魂――分断されていたものたちが一瞬、一本の線で結ばれた。私はようやく「ここ」にいる。痛みの証拠とともに。肉体は、けっして嘘をつかない。むしろ、真実しか記録しない。

だからもう、私は息を止めない。
私は、ここにいる。


菅原万有
香港在住のアーティスト・研究者。1994年東京生まれ。10代を英国で過ごし、早稲田大学で学士号を取得後、カナダ・オンタリオカレッジオブアートアンドデザインにて美術修士号(MFA)を取得。現在、香港城市大学クリエイティブ・メディア学部博士課程に在籍し、アートと理論の融合を深める研究に取り組んでいる。これまで、個展「Algorithms of Innocence」(2022年、トロント・日本カナダ文化センター)をはじめ、国際芸術祭Nuit Blanche 2022、また映像作品「(S)mothnering Myself」の発表(2024年、香港Square Street Gallery)など、国内外の展覧会において作品を発表。XR(VR、AR)、写真、映像、インスタレーション、テキスト、パフォーマンスといった多岐にわたるメディアを駆使し、表現を行っている。展覧会や学術会議、芸術祭など、さまざまな領域で研究と作品を発表しており、クィア的な方法論とナラティブを基盤に、隠されてきた歴史や抑圧された個人の物語を掘り起こす。グローバルな、そして個人の歴史、帝国主義、欲望、暴力、異性愛規範、植民地主義といった複雑に交錯するテーマを探求し、現代社会に新たな視座を提供することを目指している。